今回は、オークランドのルー&クー法律事務所で弁護士をされている西村純一さんに ご登場いただきました。分かりやすい判例を交えながら、日常生活で知っておくと役立つ「法律」のあれこれをお話し下さいました。
―――日本では先生をしていらしたということですが……? どちらの学校ですか?
「私は大阪出身なんですが、教師になりたくて、大阪教育大学で理科の教員資格を取り、地元の中学で6年、高校で2年間、理科を教えていました。」
―――なぜニュージーランドに来られるようになったのでしょう?
「話せばちょっと長いんですが…… 学校で子供達を教えていると、ひと通り1~3学年まで受け持つと要領が分かってしまうんです。ノートがあれば、教科書のこのページではこれをしゃべり、このジョークを言うっていう具合に、同じことを繰り返していれば良かったんです。『お客』が変わりますから、同じジョークでもウケる。でも問題は、3年の間に生徒はどんどん成長し、変わっていくんですが、自分は毎年毎年同じことの繰り返しで、全く進歩がない。そんな自分を変えるために、『海外派遣教師になって、外国に住んでみたい』と思うようになったんです。」
―――海外派遣教師というのは?
「海外に3年間、教師として派遣されるんですが、給与も入り、日本に戻ってからもそのまま教師として復職出来るので、願ってもない制度だと思い、早速試験を受けてみたんです。でも、1次は合格したんですが、2次の面接で落ちてしまったんです。すでに母は他界しており、父と2人暮らしだったので、試験を担当した教育委員会の人から『お父さんを1人残して行くんですか!?』と言われて…… きっと独身は好まれなかったんでしょう(笑)。」
―――それでどうされました?
「学校に『無給でいいから、2年間休ませて欲しい』とお願いしたんです。でも、『育児休暇』はすでに制度としてあったんですが、私のようなケースは『前例がない!』と却下されまして。とうとう『海外に行きたい』という気持ちが勝って、学校に辞表を出しました。」
―――それはいつ頃のことですか?
「学校を辞めたのは1986年の3月で、ニュージーランドにはその年の5月に来たんですが、実はその前の年に夏休みを利用して、2週間、ニュージーランドの下見をしたんです。ニュージーランドを選んだ理由の1つは、『英語圏』であったこと。もう1つは、私は大学時代からずっと合気道をやっていまして、そこの道場の先輩がニュージーランドに1年ほど住んでいたということで、この国に関わる方達を何人か紹介してくれたんです。それで、合気道関係者の家に泊めてもらい、稽古をしながら、オークランドやウェリントン、ロトルアなどを見て回りました。」
―――ニュージーランド人の英語は大丈夫でしたか?
「実は私は英会話が全然ダメで、珍道中ばかり。ある家に泊めてもらっていた時に、Fish&Chipsが出てきたんです。ちょうど夕方だったので、『今こういうものを食べると、ご飯が食べられなくなる』と思い、ほんのちょっと味見して、あとは『もう結構です』って、手をつけなかったんです。で、夕食を楽しみに待っていたんですが、一向にその気配がない。お腹もすいてきたので、『あのぉ…… ご飯は……?』って聞いたら、『エ!? あれが夕食だよ!』って。思わず『スミマセン!さっきのボクのフィッシュ&チップス、返してください!』って言いましたね(笑)。ちょうどそのホームステイ中に、あの日航機の御巣鷹山墜落事故が起きて、会う人会う人が『JALがどうの』『JALがこうの』って言ってくれたんですが、私には何のことかさっぱり分からなくて、『いえ、ボクは(NZには)カンタス航空で来ました!』なんて答えていたんですから、あれは本当に悲惨な事故だったんですが、思い返すと、自分の英語力のなさには笑っちゃいます、 ホント。」
―――(笑)因みに、当時のカンタス航空の運賃はいくらかかりましたか?
「夏休みのシーズン中だったので、往復で35~36万円払ったでしょうか。」
―――でも、その結果、この国が気に入って、1987年に戻って来られたんですね?
「オークランドでも合気道を教え、先生と生徒の関係が出来れば『まあ、何とかなるかな……』って思えたんです。ワーキングホリデーは30歳を過ぎていましたから諦めて、学生ビザを取って入り、日常会話が出来るようすぐに英語学校に通い始めました。」
―――どちらの学校でしょう?
「当時はQueen StreetにあったDominion English Schoolです。それで1年ほど経った頃に、合気道関係の人に推薦状を書いてもらって、永住権を申請したんです。」
―――すんなり取れましたか?
「推薦状のお陰でしょうね。1987年にもらいました。」
―――ということは、半年かそこらで取れたんですか!? 運が良かったんですね。 それからは?
「通っていたドミニオンの校長先生と親しくなり、そこでカウンセラーをしたり、日本にマーケティングに行ったり、10年くらい英語学校の仕事をしていました。」
―――授業料を払う立場から、お給料を貰う側になったんですね。 合気道のほうは?
「もちろんずっと続けています。私が所属する流派は、大手の『合気会』(あいきかい)の流れを汲む『大阪武育会』(ぶいくかい)なんですが、入会してから30年近くになります。今でも週3回、Epsomの道場で稽古しています。」
―――ところで、弁護士に転身されたのはどのような理由からですか?
「オークランド大学の法学部で法律を学ぶことになった理由のひとつは、この国のACCという事故補償制度なんです。」
―――ACCですか?
「『ヘンな制度だなぁ……』と思った時に、なぜこの制度が出来たのかを理解すれば、逆に日本のことをニュージーランド人に説明する時にも、その説明の仕方が分かるはず。そのためには、法律を学ぶのが一番良いのではないかと考えたんです。」
「ご存知のように、ACCというのは事故に遭ったら、政府が基本的な医療費の面倒をみてくれるというものですね。事故に遭った人も、事故を起こした人も、どちらも治療費をカバーしてもらえます。極端な話、脱走しようとして刑務所の塀から飛び降りて怪我をした囚人にも適応されたと聞きました。その代わりに相手を訴えて裁判を起こすことは出来ない。例えば、スポーツ・インストラクターが事故の被害者になり、インストラクターとしての道が閉ざされるという、本人にとって重大な出来事が起きたとしても、加害者を相手に民事訴訟は起こせないんですね。“Being in the wrong place at the wrong time.”(全くツイていませんでしたね)で終わってしまう。これは一見大変不条理な制度のように思えますね。法律にTort(不法行為法)という民事の分野があり、その中にACCも入っているんですが、その一見不条理に見えるACCも、それが制定された背景や歴史を学んでみると、決して悪い制度ではないということが納得出来るんです。つまり、『人身が一番大事。誰が事故を起した云々に関わらず、とにかく助けましょう』ということなんです。これが日本ですと、事故に遭ったら、民事訴訟を起すことが出来ます。なんとなくお金をたくさん貰えるような気がしますね。でも、もし相手が一文無しだったら、あるいはタチの悪いヤクザだったらどうでしょう? 1円も貰えないケースが出てきます。まさに『弱り目に祟り目』です。また、『これは絶対に勝てる!』という訴訟でも、正式に判決が出て、初めてお金が貰えるんです。それまでは、自腹を切りつつ判決を待たなければならない。こうやって比較してみると、どちらも一長一短ということは言えますが、ACCが悪い制度だとは言えなくなります。」
―――つまり、法律を通じて、日本とニュージーランドを比較し、この国をより深く理解しようと思われたんですね?
「そうなんです。大学は昼間のコースで、パートタイムを選びました。つまり、ドミニオンの仕事を続けながら、大学に通ったわけですが、法学部はEden Crescentにあったので、ドミニオンからも歩いてすぐの距離でしたから、非常に助かりました。」
―――仕事と掛け持ちで、法律を勉強されたんですか!?
「日本と違って、大学に入ること自体はむずかしくないんですよ。日本の大学院を出ていましたので資格は問題なし。あとは英語の試験があり、IELTS7ぐらいの英語力があるかどうかが試されたんですが、その頃には結構しゃべれるようになっていたので、これも無事パス。それで入学出来たんです。でも、パートタイムとは言っても、勉強がかなり大変で、『もしかしたら続かないかも知れない……』と思い、家内には『大学に行っていることは絶対誰にも言うな!』って口止めしていたんです(笑)」
―――それだけ大変だったということですね。講義は最初から法律関係ばかり?
「初めて大学で学ぶ若い人の場合は、1年目で『法の制度』を1科目と、あとは一般教養を学び、一定以上の成績をあげると、2年目から初めて法学部に入れるんです。ここから本当の意味での法の勉強を始めるわけです。すでに日本で大学卒業資格を持っていた私の場合は、最初の年から『法の制度』と『刑法』を選択したんですが、すでにある程度勉強した学生を対象に講義が進むので、ついていくのにひと苦労。でも、講義の内容は非常に面白かったですね。例えば、『刑法』で学んだ基本中の基本は、『犯罪は、犯罪の行為そのものと、犯意の2つが揃って、初めて成立する』というルール。簡単な例を挙げれば、男が鞄を持って通りを歩いていたとします。警官に呼び止められ、『鞄を開けろ』と言われ、開けたら、中から麻薬が出てきた。ところが、男は『イヤ、この鞄は人から届けてくれと頼まれて運んでいるだけで、中身については知らなかった』と主張したとします。そして、その主張がきちんと証明されれば、この男に『犯意』はなかったということになり、これは犯罪にならないんですね。」
―――確かに興味深い内容ですが、当然のことながら、講義はすべて英語ですね?
「そう。英語の判例や文献等、読む量も膨大でしたし、講義を聞きながらノートを取っていたのでは追いついていけないので、テープレコーダーを回しておき、クラスでは一生懸命に聞くだけ。家に帰ってからテープを聞いてノートにまとめるので、普通の学生にとって1時間の講義が、私の場合は3時間になってしまい、とにかく時間が惜しい毎日でした。時々追いつかなくて、テープがどんどん積み上がってしまったり(笑)。講義内容がむずかしいというよりも、とにかく時間のかかる作業でしたね。時間さえあれば、週末でも大学の図書館にこもって勉強ばかりしていたので、卒業するまでは本当に家族を犠牲にしたと思っています。その頃はまだ子供も小さくて、でもとにかく遊んでやる時間がない。勉強を始めると、離婚率が急増するという話を聞いたことがありますが、それもうなずける気がしましたね。我が家は、何とか持ちこたえましたが……(笑)。」
―――西村さんはとても努力家なんですね。
「英語力というのは、こういう環境に身を置くと、追われる分、力がついてくるのではないかと思います。あとは時間をかければ必ず出来るようになります。試験の時も、最初は問題を読んで理解するだけで精一杯で、答えを書く時間がなくなってしまったりで苦労しましたが、読解力というのは必死にやっているうちについてくるものなんですね。それに、クラスにはアフリカから来た全盲の人や、赤ちゃんに母乳を与えながら授業を受けているニュージーランド人のお母さんもいましたので、そういう人達と机を並べていると、『ボクは外国人だから……』なんて言い訳はしていられないと実感しました。」
―――卒業されたのは何年ですか?
「2001年です。最初の5年間はパートタイムで、最後の年はフルタイムでした。」
―――いよいよ日本人弁護士さんの誕生ですね。
「私は法律を勉強する前から『議論』に興味を持っており、その内容ややり取りに強く惹かれていたんです。どういうことかと言いますと、例えば、ニュージーランドに着いてしばらく経った頃に、空手をやっているニュージーランド人に出会ったんです。その時に、『沖縄で空手の集まりがあって行ってきた云々…… 沖縄に行ったことあるか?』って聞かれ、私が『まだ無い……』と答えると、『エ、日本人で武道をやっているのに行ったことないのか!?』と返され、悔しいけれど沈黙してしまったんです。しばらく後になって、ニュージーランド国内をあちこち旅行した際に、『よし!』と思って、スチュワート島にも足を伸ばし、それからは、『沖縄に行ったことは?』と聞かれるたびに、『沖縄はないけど、スチュワート島には行ったよ』って言うと、今度は相手が黙ってしまうんですね。」
―――なるほど、議論も戦略ということですね。
「これは知っておくととても役に立つと思うんですが、皆さんは『議論の勝ち方』、裏を返せば『どうして議論に負けるか』ということをご存知ですか?」
―――??
「議論に負けるのは、自分が予想していなかったことをつかれた時なんです。自分を正当化することだけを言うのは誰にでも出来ますが、それでは勝てないんです。相手が主張してくるであろうことを予測して、それにどう対応するかを準備して議論に臨むことが大切です。また、論理的で筋が通っていれば、相手は自分の言い分を受け入れてくれますが、その逆であれば納得してもらえません。『納得』がキーワードなんです。例えば、道を歩いていていきなりドン!とぶつかって来られた時に、相手がヘラヘラ笑いながら『ちょっとふざけただけ』って言ったら、誰だって怒ります。でも、『人相の悪い男に追いかけられて……』と説明されれば、同じ痛い思いをしても、納得して逆に『大丈夫ですか?』と、相手を心配したりしますね。」
―――なるほど!
「これは何十年か前にマヌカウで起こった事例ですが、養豚場のすぐ近くに新しい住人が引っ越して来た。越して来た人が『臭い!』『うるさい!』と文句を言った。養豚場の人は、『(豚はすでにここにいたんだから)そんなことは承知の上で越して来たはずだ!』と主張。結局、裁判になってしまったんですが、さてどちらが勝ったと思いますか?」
―――普通に考えれば養豚場ですね……?
「ところが、養豚場が負けてしまったんです。」
―――なぜでしょう?
「住人は『ここは将来、街になっていくところだから、いつまでも養豚場があったのでは街の発展の妨げになる』と主張したんです。これはPolicy Reason(政策的な方針からくる理由)と言うんですが、養豚場側は、短期のことだけを見て自信満々で議論に臨んだのに対し、相手は長期的な観点から突っ込んで来たので、答えに詰まり、負けてしまったという例です。」
―――実に興味深いですね。
「弁護士は、『私は絶対に悪くない!』と主張する依頼人に同調し、同じ感情で裁判に臨むと、負けて帰って来るんです。プロにそういう人はいないと思いますが…… 私は、よく依頼人に『あなたの議論の弱点はここにありますね』とか『あなたがいくら正しいと思っても、相手はこう反論して来るかも知れませんから、対応出来るように準備して行きましょう』と言うと、『あなたは私の弁護士でしょう!?』って言われることがありますが(笑)。また、依頼人と弁護士のコミュニケーションが十分に取れていないと、それで負けることもありますね。それに、揉め事は一方が100%良くて、他方が100%悪いということはまずなくて、混じり合っているんですね。例えば、道路に止めておいた車に、相手がぶつかって来た場合。車は止まっていたんだから、これは完全に相手が悪い!と決め付けることが出来るでしょうか?」
―――普通はそう思いますね……?
「それでは、車を止めていたところが、駐車違反の場所だったらどうでしょう? 状況が変わってきますね。あるいは、相手が『オマエがこんなところに車を止めてさえいなかったら、事故は起こらなかった。修理代を払え!』って主張したら、どうしますか?」
―――なるほど! 議論の面白さが分かってきました。ミニスカートをはいたものすごくきれいな女性が通りを歩いていて、車を運転していた人が思わず見とれて、車を塀にぶつけてしまった!さて誰が悪い? それと同じですね!?
「(笑)これを『因果関係』(Causation)と呼ぶんですが、仮に、あなたが車で誤って人をはねてしまったとします。相手は道路でうずくまっている。大慌てで近くの店に飛び込んで救急車を呼んでいる最中に、悪い男がやって来て、その倒れている人のズボンの財布から300ドルを盗んで逃げてしまったとしたら、さて、あなたはこの300ドルの責任までかぶる必要があるかどうか。どう思いますか?」
―――むずかしい!
「一般論としては、因果関係がなければ、当然責任はないということになるんですが、今のような事例では、様々な議論が考えられます。例えば、『人通りの多いところに、財布が見えるような位置で怪我人を残して行ったから悪い』とか『悪い男がやって来ることは予想出来なかった』、あるいは『生命の大事に関わる状況では、お金など問題ではなかった』等々…… このように因果関係があるかどうかを、事実に即して、1つ1つ検証していくんです。」
―――大変な作業ですね……
「和歌山のカレー事件、覚えておられるでしょう? 皆さん、あれは『殺人事件』だと思っていますね? でも、因果関係を見ると必ずしも殺人事件と言えないかも知れない。 実は、三好万季さんという中学生が発表した『犯人はほかにもいる』というレポート(注:1998年11月号の『文藝春秋』掲載)があって、私はそれを読んでものすごく感激したんです。三好さんは、あの事件の4人の犠牲者は、『業務上過失致死』ではないか、と指摘しているんです。事件直後、保健所は『食中毒』と断定し、1週間以上経って『青酸中毒』と分かったわけで、その間、医者は適切な治療を施さなかった。また、保険金詐欺の追及や容疑者の自宅の取材に精力を傾けたマスコミにも責任があり、『各分野の専門家達の複合過失によって拡大された社会的医療事故ではないのか』と結論づけているんですが、もしもその指摘が正しければ、刑罰にも大きく影響してきますね。これは、まさに事件を織り成した因果関係に着目したもので、それを指摘したのが中学生というから驚きましたね。」
―――お話を伺っていると、物事の見方が変わってくるような気がしますね。
「ついこの間、オークランドで起こった停電騒ぎで『誰が損害の責任を取るのか?』というのと同じですね。電力会社が弁償すべきだという声もありますが、停電になった原因によって、その答えは変わってきます。」
「因果関係と並んでもう1つ、Half Truth(半分真実)というのも面白いんですよ。この考え方も知っておかれるといいかも知れませんね。1984年に実際に起った事例なんですが、WがJからランチバーのビジネスを買い取ろうとしていました。交渉の過程で、競争相手の有無を確かめるために、Wは『この辺りで、一番近いランチバーはどこにあるか?』と質問すると、Jは『一番近いのは1キロ近く先だ』と答えました。それならばと購入した後、しばらくして数軒先に大きなランチバーがオープンすることが分かり、『それではビジネスにならん!』と怒ったWは、契約破棄あるいは賠償を求める訴えを起こしました。それを受けて、Jは『この近くにランチバーが出来る予定があるか?と聞かれ、無いと答えたわけじゃないから、私はウソはついていない』と反論したんです。さて、Jはウソをついたことになるでしょうか?」
―――答えはどうなります?
「ここで大切なのは、Wの質問の意図が、近くに商売上の競争相手がいるかどうかを確認しようとしたわけですから、Jは質問に正しく答えていないだけでなく、ウソをついたことになるんです。このような事実関係をHalf Truthというわけなんですが、要は『自己の利益を得る意図を持って重要な事実を隠し、その一部のみを告げる』、すなわち『半分真実』ということで、裁判所はこれを認めず、偽りの陳述と見なしているんです。因みに、このケースでは、裁判所はWへの賠償金の支払いを認めています。日常生活の中の議論でも、Half Truthに気付かずにいると、損をしてしまう場合がありますし、また自分の質問の仕方が不十分だったからだと、不本意な結果を甘んじて受け入れることにもなりかねませんので、このHalf Truthも心に留めておかれるといいでしょうね。」
―――今回のインタビューは『とても役立つ法律講座』のようですね!
「(笑)今の時代は社会全体が非常に複雑になってきていますので、こういう知識は持っていて絶対に損はしないと思いますよ。」
―――しっかり心に留めておきます!
「では、『法律講座』のついでにもう1例。これはCalderbank Offerという『民事手続』の科目で習った判例なんですが、英語は分かっても、中身が理解しにくいという、とても面白い例なんです。Calderbank(コールダーバンク)というのは人の名前で、1973年のコールダーバンク夫妻の離婚をめぐる一連のやり取りが、そのまま1つの基本判例になったものです。どういう基本判例かと言いますと、仮にAがBに『10,000ドル弁償しろ!』と訴えたとします。
それに対して、Bは『自分には責任はないけれど、4,000ドル払いましょう』と言って裁判所に4,000ドル差し出します。しかし、Aは『否、10,000ドルだ』と突っぱねて、その提案を拒絶。そうなると、4,000ドルは一旦戻され、裁判になります。そして、仮に裁判官から『BはAに3,500ドル払いなさい』という最終判決が出たとします。」
―――500ドル少ない金額になってしまった?
「そう。最初Bから4,000ドルの提案があったのに、裁判をやってみたら、裁判官は3,500ドルという結論を出したわけです。しかし、Aが最初にBの申し出を受けていれば、裁判をやらなくて済んだ。つまり、不必要な裁判を起したということで、Aにとって痛いのは、裁判にかかったA自身の費用はもちろん、裁判に引きずり込んでしまったBの費用も、Aが負担しなければならないんです。これが、基本的なCalderbank Offer。オファーは『提案』ですね。」
―――AはBから提案された4,000ドルを受け入れていたほうがずっと良かったということになりますね?
「その選択がむずかしいんですね。というのも、裁判官はAの主張する額を全額認めてくれるかも知れないし、逆に1セントも支払う必要なしという結論を出す場合もある。Bの提案を受け入れたほうが得か、裁判に持ち込むべきか、Aはその決断を迫られることになりますね。」
―――なるほど……
「私がこのCalderbank Offerで理解出来なかったのは、『Bは自らAに4,000ドル支払う提案をしているにも関わらず、訴えられたことについての法的責任は認めなくて良い』としている点なんです。本当に責任がないのであれば、なぜ自分から4,000ドルを裁判所に差し出したのか? 事実関係は分かっても、どうしてもこの論理が理解出来なかったんです。でも、このCalderbank Offerを『責任の所在云々』で見ると、理解に苦しむんですが、改めて考えてみれば、ニュージーランド人は揉め事を解決するために、何とも合理的な手段を採用しているものだと感心もし、納得も出来るんです。時間も費用も無駄にせず、ドロドロした裁判を回避することが出来ますからね。」
―――ということは、ニュージーランドの裁判では、基本判例があって、それに訴訟内容をあてはめて判決を下すのでしょうか?
「そういう場合が多いですね。この国はイギリスのCommon Law(コモンロー)を継承していますから、非常に判例を重んじる国なんです。」
「また、この国にもFamily Law(家庭法)というのがありますが、例えば、子供の親権を争う場合、ニュージーランドでは『子供にとって何が一番良いか』に重きを置いているので、子供が意思表示出来ない年齢であれば、裁判所が指名した弁護士が子供につくんです。1ヶ月の赤ちゃんでもそうです。親の都合だけではいかないんですね。」
―――よく考慮された制度ですね。幼い子供はもちろん、何か事が起こった時に、大人でも正しく状況を把握し理解することは大変だと思うのですが……?
「そうですね。だから、我々弁護士がいるんですが(笑)。でも、弁護士はあくまでも法的なアドバイスをするだけ。『○○や○○のような選択肢がありますよ』と助言し、影響を与えることは出来ますが、最後に決断を下すのはご本人なんです。つまり、正しい判断を下すためには、ご本人もケースに対して十分な理解を持つことがとても大切なんです。」
―――おっしゃる通りですね!
「同じようなことで、よく日本人の中には『すべて弁護士さんに任せていますから』とおっしゃる方がいますが、これは間違いですね。主体はご本人です。また、私が弁護士になってから、何人かの日本人の方が、英語で書かれた自分自身の遺書を持って訪ねて来られ、『何て書いてあるか教えて欲しい』って言うんですね。ご自分がご自分の意思で決めて、文書にした遺書であるはずなのに、その中身を把握出来ていない。これは英語の問題だけではないんです。『日本人がどういう風に考えて、遺書を遺そうとしているのか』が理解されないと、その日本人が本当に意図するところの内容が正しく遺書に反映されなくなってしまうんです。いわゆるニュージーランド人の理解に基づく『遺書』が出来上がってしまうため、内容に不安を抱いてしまうんですね。」
―――確かに、ニュージーランド人の弁護士さんに『では、そこはこういう風にまとめておきましょう』と言われ、出来上がってきた遺書を見て『ウーン、ちょっとニュアンスが違うなぁ……』と感じたことがありました。
「そういう英語と日本語の微妙な考え方の違いを理解してもらえると思って下さるのか、私の依頼人は日本人の方が多いですね。オークランドだけでなく、全国から訪ねて下さいます。」
―――やはり日本人のための弁護士さんでありたいと思われますか?
「クライストチャーチに日本人で初めてJustice of the Peace(注:敢えて訳せば『治安判事』)になられた神谷岱劭(たかよし)さんという方がおられるんですが、その神谷さん達と一緒に『NZ日本法律問題研究会』(NZ Japan Law Institute)という会を作ろうとしているんです。この国に在住する日本人の方達に法律的な情報を提供したり、啓蒙活動を出来ればと考えています。」
―――日本人のためにもぜひ実現させて下さい!最後に、これまでのご経験から‘これだけは伝えたい’というメッセージはございますか?
「理科の教師を辞めて、この国に渡り、英語で書かれた文献の山と格闘し、弁護士の資格を取りましたが、大学に通った6年間で身を以って学んだことは、『好きなこと、興味のあることであれば、どんなにむずかしいと思えても、一生懸命に続けていればきっと出来るようになる』ということでしょうか。『ああ、私には無理だ……』と、自分で枠を設定してしまうのではなく、何事にも『挑戦してみなければ分からない!』とぶつかっていく気持ちを、これからも持ち続けていたいですね。」
(インタビューと記事 大森栄美子、オークランド日本人会会報2006年10月号より引用)