制定法の解釈などと言うものは、法廷弁護士間の議論か、裁判所にかかわりのない自分には関係ないと思われる人が多いかと理解しています。しかしながら法律がすべての人を対象とする性質のものであるため、ここニュージーランドに住む限り、まんざら他人事でもないという話を紹介しましょう。
制定法解釈の古典的な例として大学の入門口座で習ったお話から始めましょう。人が歩く“歩道にVEHICLEを走らせては罰せられる”と言う法律もしくは条例が昔からニュージーランドにもあっただろう事は想像に難くないでしょう。歩道を歩いている人を守るために、誤って車を歩道に乗り上げても違反に問われる、当たり前の事を決めた法律と言えるでしょう。その何年も後にスケートボードというものが登場しました。これに乗った若者が歩道を“闊歩”し、歩道を歩いている人が危険にさらされる,歩行者と衝突してケガをするという事態が起こります。これに対し警察はただ危険だからでは取り締まる事は出来ません。取り締まるためには何の法律に違反しているかをはっきりさせなければなりません。
ここで制定法の解釈が登場します。すなわちスケートボードがVEHICLEにあたると見なされるかどうかで、違反か違反でないかが決まります。歩行者、特にお年寄りや子供からすればスケートボードに乗ったスピードのある若者が自分の横をすり抜けていくのは危険なので、もちろんスケートボードはVEHICLEとみなされるべきだとなるでしょう。スケートボードの若者からすれば、車道は危なくて走れない、法律の言うVEHICLEとは車やトラックの事でこんな小さな“乗り物”はVEHICLEなんかじゃないと言うかも知れません。ここまで来て、そもそもVEHICLEとは何かと言う解釈の問題に戻ってきます。
言葉の定義の問題に行き当たると実際の裁判の判決文の中でもオックスフォードの辞書などを引用して議論されています。まず英和辞書で見ますと(これ自体にあまり意味はありませんが。)、陸上の乗り物、輸送機関、車両、自動車、バス、トラックなどとあります。手元にある英英辞書では”A machine such as a bus or car for transporting people or goods” (人や物資を輸送するためのバスや車の様な機械)。辞書にあるVEHICLEの定義から見る限り、スケートボードを制定法で言うVEHICLEだとして、取り締まるのは少々無理があるかと思われます。とは言うものの定義がどうだからと言って、歩道の上でスケートボードによる危険がなくなる訳ではありません。スケートボード反対派の意見は次の様なものかも知れません。そもそもここで言うVEHICLEとは歩行者に危害を与える恐れのある乗り物で、その限りにおいてはスケートボードもその範疇に入る。法律の言葉からだけではなく、主旨から解釈されるべきだと。
では話題を少々変えて飲酒運転とは何かと言う解釈の問題をひとつ。飲酒運転は一般の人を危険にさらすので取り締まられるべく、違法な行為だとは誰でも知っています。そしてこのとき酒に酔いながら乗用車を運転している人を多くの人は想像しているのではないでしょうか?
今年の初めに夜のノースランドタウンで一人の男が警察に止められ、飲酒運転で起訴されました。ここまでは何て事のない、よくある普通の話です。ただ一つ普通と違っていたのは彼が運転していたのは”運転芝刈り機”(a ride-on lawnmower)だったのです。家庭にある手で押す芝刈り機ではなく、公園などの広い所で芝刈り機に乗って運転しながら芝を刈っている人を見かけた事があるでしょう。そうです、あのトロトロと走る芝刈り機です。乗用車の規定に従ってこの芝刈り機は28日間の押収となったそうです。飲酒運転はダメだと考える人の何人が、芝刈り機の運転がこの範疇に入ると考えていたでしょうか?スケートボードが誰かに危害を与える可能性と比べても、芝刈り機のそれは低いと思われるので、法律の主旨に違反していると言えるか意見の分かれるところではないでしょうか?余談ですが、この男は飲酒運転で起訴されたのは納得できないが、ちょっと危険だったかもしれないと自ら認めています。理由は酒を飲んでいたからではなく、ヘッドライトがないからと!。
スケートボードは出来ないし、運転芝刈り機も持ってないので関係ないと考える人にこのケースはいかかでしょうか?昨年の11月、マースタトンで33歳の父親が8歳の息子を“暴行”したとして起訴され、有罪が確定しましました。事件のあらましは次の様なものです。仕事から帰ってきた父親は息子が学校で問題を起こしたことを聞かされました。怒ったこの父親は息子の肩を掴み、自分の膝に乗せお尻を平手で3回打ったのです。肩に打撲傷が残ったと報告されています。そうです、これだけです。
裁判官はこの父親に次の様に述べています。あなたのした事が暴行に相当する事を理解しなければならない。我々の法律は子供を守るために改正されたのだから。両親はこの様な行為からもはや逃れる事は出来ない。9ヶ月間監督下におかれ、その間にカウンセリングを受ける事との判決が下されています。
ここで言う法律とはグリーン党のスー ブラドフォード国会議員が提出し、2007年5月に国会を通ったいわゆる”anti-smacking bill”(あえて訳せば、家庭における子供に対する体罰禁止法)です。Crimes Act 1961 (1961年犯罪法)の59条(Domestic discipline)に両親が子供に対して罰や懲らしめのために理にかなった腕力の行使は正当化されうるとの条項がありました。実際の刑事裁判ではこの条項が抗弁(defence)としてしばしば使われてきました。多くのケースでは幼い子供が脳障害などの一生残るケガを受けたり、場合によっては殺されています。日本でも最近はこの様な事件がしばしば報道されているので想像に難くないかとは思います。
この条項を廃止しようとしたのがanti-smacking billでした。ただここで大きな問題になったのはよい両親がしつけのために自分の子供を軽く叩いたケースまでもが犯罪とならないかと点でした。ニュージーランドでもしつけために子供に手を出す事は必要悪だと考える親は結構います。家庭内の問題に政府が口を出すなと言う考え方でこの法律に反対している人たちもいました。
新しく制定された59条(Parental control)では罰や懲らしめのための腕力(force)は正当化されないとはっきり謳っています。ちなみに腕力の行使が正当化され得るのは子供がまさに誰かを傷つけ様としているのを止める時とか、犯罪を犯そうとしているのを止める時などで、言ってみれば当たり前の事です。
子供を虐待しておいていざ裁判にかけられるとしつけだったと言い張る親の逃げ道を閉ざすのはよい事だと考える一方、この法律が広く解釈されて子供に手をかけた“普通”の親が犯罪者にされるのはよくないと言う反対意見が根強くありました。詰まるところどの様な親、どの様な子供、どの様なケースを想定してこの法律を考えるかで、この法律に対する賛否が大きく影響するのではないかと思われます。
マースタトンで事件に対してスー ブラドフォード国会議員はコミュニティーを基盤にした軽い適切な判決だとしています。Social Development 大臣のルース ダイソンは“59条は廃止されたのだから子供に対する理にかなった腕力という抗弁は出来なくなっており、いかなる時も暴力に対する起訴がなされる様に、このケースもその例外ではない”と言い切っています。
よい親をターゲットにしているのではないと言う‘理解’のもと野党の国民党も賛成にまわり、圧倒的多数でこの法律は成立しました。スーパーマーケットで言う事を聞かない自分の子供に いつもの調子で?軽く手を出すと、それを見ていたどこかのおばさんが携帯電話で警察に通報し、あなたが逮捕される事も現実の問題になってきたかと思われます。
制定法の解釈、身近な問題になってきましたでしょうか?
(この記事はオークランド日本会会報2008年02月104号に掲載されたものです。)