殺人犯のかつら ― 人権の侵害訴訟をめぐって

殺人犯とは正当な理由なしに人を殺した者のことを言い、裁判でその罪が確定した人と言うことは誰でも知っています。ニュージーランドでは死刑が廃止されていますので、基本を無期懲役として仮釈放の申請が許されるまでの期間が通常判決時に言い渡されます。仮釈放の申請をすれば必ず許可される訳ではなく、一定の基準を満たさなかったとして却下されることももちろんあります。却下されると次の申請までに一年は待たねばなりません。

したがって犯罪者が監獄に一定期間閉じ込められることになるということも周知の事実です。この一定期間行動の自由が奪われるという事実をもって犯罪者の基本的人権が侵害されていると主張する人はいないと思います。これは犯した罪に対する罰であり、報いであると考えられるためです。

では若くして禿げている殺人犯が「刑務所の係官が私のかつらを奪ったのは私の表現の自由(freedom of expression)への人権侵害だ」と訴えたら、この正当性はどう裁かれるでしょうか?この裁判が3月に本人(Phillip Smith)である殺人犯によって実際にオークランド高等裁判所へ持ち込まれました。かつらを取り上げた刑務所を訴えたのです。そしてこの結果(判決)、なんと彼がこの裁判に勝利しました。

Phillip Smithの犯罪歴

まずこの確定殺人犯はどんなことをしたのNZ Heraldからひろってみます。Phillipは1974年にWellingtonに生まれました。3歳のときに両親は離婚し、彼のお母さんはCartertonへ移り、彼はお母さんに付いていきました。その後お母さんが再婚しSmithの姓に変わりました。

1980年後半に彼が住んでいるCartertonの同じ通りに小さな子どものいる夫婦が移ってきました。Smithと少年たちは親しくなり、彼は両親からbig brotherと見なされていたと言います。ところが1995年9月に子どもたちは彼から性的ないたずらを過去3年間に渡って受け続けていたことを両親に告白します。「誰かに言えば家族を殺す」と脅かされていたので、子どもたちが受けた被害は文字にするのがはばかれるような内容でしたが長く沈黙を守っていました。

これを聞いて驚いた両親は直ぐに警察に連絡し、Smithから逃れるために夜逃げのようにしてWellingtonへ引越しました。彼はその後直ぐに逮捕、起訴されました。

当初は彼が被害者と接触することを心配して仮釈放が認められませんでした。なぜなら彼の部屋から被害者の家族が逃げたWellington郊外にある学校のリストが見つかったためです。

彼はこの時点ですでに20に及ぶ有罪判決がありました。その中には裁判への証人を火炎びんで脅かして公正な裁判を妨げた罪などがありましたが、高等裁判所に再審を求めて上訴し仮釈放が認められました。

その2週間後にはAucklandの男性への恐喝で逮捕、起訴され再び収監されました。脅かされた男は後に自殺を図ったと言います。この訴訟中に警察から逃げ出し、再び逮捕され、再度仮釈放を認められました。被害者である13歳の男の子と接触をしない、家族の居場所を探そうとしないがこの仮釈放の条件でした。

このような仮釈放条件をSmithは全く無視して、1995年12月11日に被害者家族の住む新しい家に向かいました。ナイフやライフル銃を持って裏庭から忍び寄り、そこで3時間待ちました。これらの武器は1週間前にこの家の近くに隠していたと言います。

被害者である13歳の男の子が彼の部屋にいるSmithに気づき目覚めるやいなや、両親を叫んで呼びました。急いで駆けつけて来た父親をSmithは繰り返しナイフで刺しました。この少年は逃げ出し、近くの警察に助けを求めました。この時Smithは少年の母親と兄弟に銃をつきつけて死にかけている夫へ近づかせないようにしていました。ホラー映画に見るような執拗さではないでしょうか?

その後すぐに逮捕されたSmithは殺人罪で起訴されました。この裁判の中で彼の部屋から殺人への詳細な計画書が見つけられたことが明らかにされました。

長きに渡る少年への性的虐待と彼らの父親の殺人に対する有罪判決をもってしてもSmithはこの家族を苦しめることをやめませんでした。彼は刑務所の中からこの家族に4回も脅しの電話を入れています。彼の独房を捜査した警察はこの家族の名前が記されたhit list(暗殺もしくは攻撃者のリスト)を見つけています。

その後2014年11月にSmithは一時的に釈放されました。この時彼はかつらなどを使って変装しブラジルまで逃亡しています。ちなみに彼が問題にしているかつらはこの逃亡の時に使ったかつらで、以後愛用していたようです。

Smithがどんなことをしてきて、どのような人格かをある程度知った上でこの「かつらはく奪人権侵害裁判」を考えるのが良いかと思い、長いと分かりながら記させてもらいました。

裁判では何が争われたか

さてこのかつらはく奪人権侵害裁判ではSmithが何を訴え、どのような内容が争われたのでしょうか?彼は裁判官に訴えました。「逃亡の後に刑務所に戻った時が私の人生で最悪の時だった。」その理由は逃亡という情けない行為をしたからでも再び捕まったからでもありません。曰く、「なぜならかつらを取られ、禿げのままの自分の写真が新聞の一面に載ったからだ。私は見くびられ、面目を失わされ、屈辱を受けた。」

「もっと恥と思わなければならないことがいっぱい他にあるんじゃないですか?」と突っ込みたくなるコメントですが、Smithは20代から髪の毛が薄くなり始めたので、かつら無しでは人前に出れなかったと言います。にもかかわらず刑務所はなぜ彼がかつらをつけてはいけないのかについて合法的な理由を明らかにせず、これを正当化するために警備上の懸念をおおげさに主張した。木の実をハンマーで叩き割るようなものだ。結果として彼を人間的尊厳をもって扱うことをしなかった。

これに対し刑務所側の弁護士は「刑務所の判断は運営上の問題で裁判所が干渉を控えるべきだ」と述べましたが、裁判官は違った見解を示しました。刑務所はThe Bill of Rights Act (ニュージーランドにおける人権を定めた法律)のもとに保障されているSmithの人権に対する配慮に欠けたと判断しました。先ほども述べましたが、基本的人権である表現の自由(freedom of expression)が侵害されたということです。しかしながらSmithが要求していた賠償は退けられました。

判決への反応

まず一般の反応は「殺人犯のかつらを取ったくらいで、何が人権侵害か」ではないでしょうか?事実、この判決に怒った国会議員の一人は彼のFacebookで「このような男には何の権利もない。刑務所の誰かに頭皮を剝がれればいいんだ。」と扇動的なコメントを載せ、後にすぐに取り下げています。

言うまでもないことですが、殺人犯がいると言うことは殺された人がいるということで、殺人犯はこの被害者の最大の人権である生きる権利を奪った者のことです。The Bill of Rights Actを否定する人はいないと思いますが、この法律が被害者より加害者の権利を守っているのではないかとはこの法律の当初から繰り返されてきた議論ではありました。

この裁判で審議されている争点を「Smithのかつらを取り上げなければ、刑務所の運営上問題があるか」と規定すると、必ずしもそうとは言えないという結論になるかもしれません。一方で子供への性的虐待、殺人、逃亡など数々の重罪を重ねておいて、そんな人間がかつらを取られたぐらいで騒ぐなが一般的な受け止め方ではないでしょうか。

「歎異抄」の有名な一節に「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」がありますが、善人は言うまでもなくどんな悪人だってその人権が守られる素晴らしい人権国家二ュージーランドという事になるのでしょうか。

『オークランド日本人会2017年冬号に記載』