永住権保持者が犯罪を犯したことによる国外追放の可能性について(2022年4月)

2021 Resident Visaにより、多くの方が永住権保持者になることを踏まえて、永住権を持っていても国外追放になる可能性があることを、注意喚起のために今一度、皆様にお伝えしたいと思います。

永住権(Resident Visaもしくは Permanent  Resident Visa)を持っていても刑事罰を受け、裁判において有罪判決を受けた場合は、移民局の決定により国外追放になる可能性があります。国外追放の主な基準は、①永住権を取ってからの期間、②有罪判決を受けた罪の重さの2点で、簡易的な表にまとめると以下となります(○印は国外追放の可能性有り)。

①永住権取得後
2年以内 5年以内 10年以内
②刑罰の重さ 禁固3ヶ月以上が
求刑可能な罪
   
禁固2年以上が
求刑可能な罪
 
禁固5年以上の罪

 

身近な例としては、永住権取得から2年を経過していない方が飲酒運転により有罪になる場合です。初めての飲酒運転で捕まりアルコール検査の結果、濃度が一定基準を超えると、3ヶ月以下の禁固刑もしくは$4,500以下の罰金刑 、加えて 6ヶ月の免許停止の刑事罰が科せられます。重要な点は、実刑が罰金刑と免停処分だけで済んだとしても、この刑罰そのものが『3ヶ月の禁固刑を求刑可能』なため、禁固3ヶ月以上の実刑判決を受けなくても国外追放の対象となることです。

なお、まだ永住権を申請中のワークビザ保持者の場合、移民局が国外追放するのに『十分な理由』があると判断されると追放の対象となります。十分な理由には、ビザ条件の違反、申請書の虚偽記載、そして犯罪行為が含まれます。ここでの犯罪行為は、刑罰の重さや有罪判決の有無などの基準は設定されておらず、犯罪行為があったという事実が十分な理由とみなされれば、国外追放の対象になることがありますので、ご注意ください。

「殺人犯のかつら ―人権の侵害訴訟をめぐってー」後日談

昨年のオークランド日本人会会報冬号に上記のタイトルで書きました記事を覚えていただいていますか?若くして禿げている殺人犯(Phillip John Smith)が「刑務所の係官が私のかつらを奪ったのは私の表現 の自由(freedom of expression)への人権侵害だ」とオークランド高等裁判所へ訴え、彼はこの裁判に勝利しました。ちなみに彼の犯した犯罪は近所に住んでいた少年に何年にもわたって性的いたずらを 続け、これに怒った彼らの父親を殺した殺人犯です。さらにはその後仮釈放された時に変装して海外逃亡を企てました。再び逮捕された時かつらを取り上げられ、禿げ頭の写真が当時の新聞、テレビに出ていました。

後日談

その後刑務所側がthe Court of Appealに上訴していました。the Court of Appealはかつらをつけていたいと言うSmithの願いは表現の自由の権利への行使(engage)ではないと結論し、高等裁判所の判断を破棄しました。その後刑務所側が刑務所内でのかつらをつけることを認めたのでこの権利についての議論はなくなったとしています。

ちなみにどのような考察がこの新しい判決の中でされていたかに興味のある人もいるかと思いますので、その一部を紹介しましょう。曰く、重要な理論的根拠はかつらをつけることがそもそもSmithにとって表現すべき情報内容を含んだ行為と言えるか。この制定法 (New Zealand Bill of Rights Act 1990) における表現の自由は「非言語的象徴的」表現行為 (non-verbal symbolic expression)を含めて広く解釈されるべきだ。確かに髪型が文化的、宗教的もしくは政治的メッセージを伝えると言うこともあり、法の下の表現的行為にあたることもある。(すなわち言葉による主張だけでなく何らかの行為も表現の自由の範囲として捉えられるべきだと言うことです。)しかしながらこれは意見や情報を伝え合う何か (communicative of something) を含んでいなければならない。この意味でかつらをつける行為はSmithが主観的にどう感じるかだけで、誰かに伝えるべき何らかの情報を含んでいないので法律が保証している「表現の自由」の表現にあたらない。

私的な感想

常識的な判決だとは思いますが、これを読んで考えることが二つあります。

一つは一人の納税者として思いです。この裁判にかかる検察や裁判所への費用はもとよりSmithの裁判費用も訴訟経費扶助(legal aid)から支払われている可能性があります。すなわちこの裁判のすべてが税金でまかなわれていると言うことです。我々が支払った税金をもっと有効に使ってほしいと言う素朴な思いが一方にあり、とは言うものの誰かれなく一人の人権が軽く扱かわれればいつかじわじわとみんなの人権がむしばまれることになるという思いが交差します。

もう一つは裁判官には失礼ながら人の判断とはこの程度だと言う思いです。ニュージーランドでは何年もの弁護士経験、主に法廷弁護士の経験を経て裁判官になれる制度ですので、裁判官は常識を持ったとても聡明な(intelligent)方々です。ちなみに常識を持ったという言い方をしましたが、これは何かもしくはどこかの国と比べている訳はありません。弁護士であったときに常識がなかったとすればクライアントが来ませんので、弁護士であり続けることが出来なかったはずと言う程度の意味です。ともあれこのような素晴らしい見識を持つ裁判官でも同じケースに全く異なる判断を下す事実は知っておく価値があると思います。

弁護士の仕事で訴訟に関するケースで出くわしますと「このケースは勝てそうですか」とクライアントからよく聞かれます。正直な答えは「やってみないと分からない」です。「これじゃ答えになっていない」「頼りない弁護士」と思われるのはよく承知しますが、明らかに勝てそうなもしくは負けそうなケースは裁判に上がってきません。負けそうな側が裁判を回避しようと和解を呼び掛けてくるからです。これに対して観点によって双方に言い分があるときは、裁判に進むことになりますが、担当する裁判官によってどちらの言い分に重きをおくかが異なり結果が変わってくると言うことかと理解しています。

新たな裁判

上訴を経てこの裁判は終わりましたが、今年になってこのSmithともう一人の「悪名高き」受刑者Arthur Taylorが起こした新たな裁判がニュースになっていました。刑務所で209人の受刑者を対象に行われた身体所持品検査(strip-search)についての訴訟です。彼らによればこの身体所持品検査は2016年10月に刑務所内で起こった冷酷な襲撃への報復として行われた。報道によりますと6人の監視員が怪我をし、3人が刺し傷を負ったそうです。

SmithとTaylorはオークランド高等裁判所で次のように弁論したそうです。「体中を調べられ多大なる屈辱を与えられた。」「見くびられ、人間性を奪われたと感じた。」「すべての受刑者への謝罪と一人当たり600ドルの賠償をせよ。」「刑務所は見本を示すことによって受刑者を更生させることに責任がある。」「すべての人の権利を尊重する例を示すことで、他者の権利への尊重を徐々に教えていくことが刑務所にとってとても重要なことだ。」

さて皆さんが裁判官ならこの裁判にどんな判決を下し、どんな判決理由を述べられるでしょうか?

シビバツ事件

シビバツ事件の顛末

平手で2回位なら夫は妻を打ってもよいか?スポーツの有名人なら刑事裁判で名前を伏せてもよいか?海外出張を頻繁にする大きな仕事を人するなら、犯罪歴が今後の仕事の妨げになるので、軽犯罪で初犯の場合なら無実にしてもよいか?

この様な質問への答えは一見明らかの様に思われます。すぐに聞こえてきそうな反論は次の様なものではないでしょうか?

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