陪審員の役目を理解するために

陪審員の役目を理解するために

陪審制度に関係する最近の新聞記事を拾ってみました。

ニュージーランド日本法律問題研究会
西 村 純 一(弁護士)

ニュージーランドにおける陪審員の選考は選挙人登録名簿から無作為に選ばれますので、あなたにも召喚状が送られてくるかもしれません。2008年10月号に陪審員召喚について掲載致しましたが、その役目をより一層理解できるように陪審員が裁判にかかわる実例を次のとおり紹介致します。

1.アントニー ディクソンの日本刀による傷害ならびに銃による殺人事件の裁判は記憶に新しいかと思います。彼は精神異常での無罪を狙ったかのごとく、高等裁判所での裁判中はギョロ目であたりを見回し、落ち着きのない動作を繰り返していたのがテレビでも報道されていました。陪審員は有罪判決を下しましたが、被告人の弁護士は上告裁判所(Court Of Appeal)へ上告し、ここで差し戻しの判決を得ました。結果的には差し戻し裁判でも陪審員は有罪の評決を下しています。

陪審制度での有罪評決は12人の賢人が下した判断ですので、この判断が間違っているとして上告する事は通常出来ません。たいていの場合、上告理由は高等裁判所判事が陪審員に対して行った事件に関係する法律の説明(Summering-up)が不十分もしくは誤っていたとするもでです。このケースで上告裁判所は差し戻し理由を次の様に述べています。高等裁判所ポター判事は陪審員に対して精神異常についての法律について十分な指示を与えていない。アントニーが常用していたヒロポン(Methamphetamines)が彼の心身機能の障害にどの様な影響を及ぼすかについて陪審員に十分説明されていない。Murder (故意の殺人)ではなくManslaughter (予謀なく行われた殺人。故殺) の選択肢を陪審員に提案しなかった。

2.同じくこのケースでギャングの一員がこのケースの陪審員の家を夜に訪れたとしてJury-temperingの罪(脅かしや賄賂によって陪審員に影響を及ぼそうとする事、Section 117 of the Crimes Act 1961)で逮捕されています。この後、警察は残りの11人の陪審員の家の近くを特別警戒したそうです。ちなみにJury-temperingの罪には最高懲役7年の刑が科せられます。

3.不治の病でもがき苦しむ母親をみかねた“孝行”息子が看病の果てに、薬の過量投与で母親を死に至らしめたイアン クルッチェリーのケースでは、陪審員が有罪の評決を下した後、裁判官に寛大な判決をお願いした事が注目されました。陪審員の仕事は有罪か無罪かの事実認定で、有罪の場合その刑量(判決)を決めるのは裁判官の仕事です。これは陪審員が事件の当日の事を「誰にも耐える事の出来ないもの」として異例の嘆願となった珍しいケースです。

4.有罪の評決が下された麻薬がらみの事件がありました。最高裁判所(The Supreme Court)はこの評決を陪審員の数が問題として破棄し、差し戻しを決定しました。陪審員は12人である事は前回の記事で既に説明されていますし、よく知られていますが、この裁判では陪審員が事情で10人だけになってしまいました。2週間の予定であった裁判が延びて4週目のかかり、陪審員のひとりが予定されていた二つの試験日に重なったため裁判官がこの陪審員の義務を免除しました。その後他の陪審員の一人がこの事件とは関係ない事で大きなな揉め事をかかえました。この陪審員が裁判に集中できなくなった事情を同情に値する理由として、この裁判官は義務の免除を認めました。最高裁判所はこれらの事情が10人での陪審裁判を認める例外的な事情にあたらないとして裁判のやり直しを命じました。

5.Automatism (オートマティズム) と言う刑事事件での抗弁を知っている人は少ないかと思います。私も大学の授業で聞いただけで、実際のケースを聞く事はほとんどありませんでした。この8月にパーマストンノース地方裁判所で行われた裁判で、この抗弁が認められ被告は無罪になりました。学生がパーティドラッグで高ぶって(high on party drugs)友達や警察官を攻撃した事件です。このパーティピルを飲みすぎた被告は突然友達に襲いかかりました。この友達が自分を地獄へ連れて行く悪魔と思ったからとこの被告は説明しています。オートマティズムとは犯罪を犯している時に犯罪意図がなく、自分を制御できない状態で、夢遊病者や低血糖、てんかん等の病気を持つ人に適応される抗弁の一つです。裁判官のアドバイスがあるとは言え、陪審員も結構専門的な判断を迫られるのだなと思ったので、このケースも紹介しました。

6. オークランド警察官がロトルアのバーのオーナーを襲ったとする2回目の裁判がありました。この裁判官はこの裁判がなぜ2回目なのかについて推測するなと警告しています。1回目の裁判で何かがうまく行かなかった(something went wrong)からだが、陪審員は自分自身でこれを調べ様としてはいけないと警告しています。これは法廷に提出された証拠だけをもとに、この事件の事実を認定すると言う基本原則を確認したものと理解されます。

7. 法廷に提出された証拠の中に容疑者の犯罪歴を含めるかと言う難しい問題も今のホットな課題です。現在のルールでは原則として容疑者の犯罪歴は陪審員に知らされないことになっています。これは今裁かれているのは今回のこの事件であって、裁判の初めから予断を与えないためと考えられます。犯罪歴が事前に知らされると、同様な事件に対してこの容疑者はやっただろうと一般に考え、公正な裁判(a fair trial)を妨げると理解されているためです。一方でこの原則に大きな疑問を投げかけたのが20年前のレイプ事件(high-profile historic sex cases )が争われた3人の警察官被告人の事件があります。今年の3月これらの3人の警察官は陪審員裁判で無罪を勝ち取りました。ところが裁判後まで伏せられていた事実は一般市民を驚かせ、大衆の抗議を呼びました。それはこの3人の内2人は18年前の別のレイプ事件で有罪判決を既に受けており、刑務所からこの裁判に通っていたのでした。この事実が陪審員に知らされていたら評決は変わっていたでしょうか?ともあれこれを受けて政府はthe Law Commission に容疑者の犯罪歴が知らされるべきかどうかの答申を要請しています。

日本でもその昔?(1928年から1943年)には陪審法のもと陪審制が行われていました。しかしながらその後長い間陪審制が行われていませんでしたが、2009年5月21日より裁判員制度が施行されることになっています。これは裁判官と市民が共に議論し、評決を下すもので、ニュージーランドや諸外国で実施されている陪審制とは少し異なります。この新しい制度の導入にあたって法律の素人である市民に容疑者の一生を左右するかもしれない評決が下せるのかとの不安があると聞きます。

ニュージーランドで陪審制度を見てきた私の意見では、12人の「賢人」の判断は1人の裁判官より勝ることはあっても、劣ることはないと考えています。前回の号でお知らせしたニュージーランド法務省発行の資料にあります様に、陪審制度の場合「陪審員は当該事件の事実審査において正しい評決を答申をするだけで、判決(たとえば罰金刑か禁固刑か等)がどのように下るかについては考慮する必要はありません。適切な判決を決定する責任は裁判官が負います」。陪審員としての役割は「法廷に提出された証拠をもとに、その事件の事実を認定するだけです。事件に関係する法律については裁判官から解説されるので、陪審員は証拠や証言を吟味し、実際に何が起こったかだけを決定します。」

すなわちあえて言えば、陪審員に判断が要求されているのはこの容疑者がこの犯罪を犯したかどうかではなく、この容疑者がこの犯罪犯したと言う検察の申し立ては十分に証明されたかとなります。刑事事件には疑わしきは罰せずとの大原則が適用されます。容疑者個人に比べて警察の持つ力が絶対的に大きいためです。もちろんこの原則はニュージーランドにもあり、Beyond a Reasonable Doubt (合理的疑いの余地なく) と言います。

陪審制度の意義、是非について色々な議論があります。昔日本にあった陪審制で陪審員向けに配布されたパンフレット「陪審手引」に次の様に記載されていたそうです。「素人である一般国民にも、裁判手続の一部に参与せしめたならば、一層裁判に対する国民の信頼も高まり、同時に法律智識の涵養や、裁判に対する理解を増し、裁判制度の運用を一層円滑ならしめやうとする精神から、採用されることになつた」(陪審制 – Wikipedia)。現在のニュージーランドでもこの意義は有効かと理解しています。(2008年11月)