判例から学ぶ!NZ法律案内 第3回

第3回 因果関係

あなたが誤って車で人をはねたとします。あわてて近くの店に飛び込み、救急車を呼んでいる間に、たまたま近くを通りかかった悪い人が、はねられて倒れている人から、300ドル入った財布を盗んで逃げてしまいました。さて、あなたの起こした事故がなければ、財布が盗まれることもなかったのは事実でしょうが、あなたはこの300ドルにも責任を負わなければならないのでしょうか?

(Quarter 2002年春号より)

判例に見る因果関係

上記のような行為と結果のつながりを因果関係、Causation(コーゼーション)と呼びます。一般論としては、因果関係が無ければ当然のことながら責任なしということになります。刑法においても、犯罪と呼ぶためには因果関係が必要となる場合があります。「AがBを殴ってけがをさせたと裁判所が認めれば、Aが有罪となる」。常識的に考えれば当然のことで何も問題はなさそうですが、実際のケースとなるとそう簡単ではないようです。英国のケース、R対スミス(1959年)がその1つです。

事件のあらましは次のようなものです。兵士同士のけんかで、スミスに刺されたうちの1人が死にましたが、裁判の過程でいろいろな事実が明らかになってきました。刺された兵士が仲間によって病院へ担ぎ込まれるまでの間に、気の毒なことに不注意で2度も担架から落とされていました。その後、病院で彼の病状が誤診されたこと、その上治療そのものまでもが不適切であったことが証拠として挙げられてきました。すなわち、問題は刺された後の出来事がその兵士の回復の可能性を奪ったといえるか言い換えれば、死ななくて済んだかということです。これは被告人スミスにとってとても重要な点です。なぜならスミスが傷害罪に問われるのはおそらく間違いないとしても、殺人罪(murder)となるかどうかによって、刑罰に大きく影響してくるからです。

因果関係は重要な鍵を握っている

この訴訟では、刺された後にいろいろと不運な出来事があったことを考慮しても、刺されたことによる傷の影響は継続していて、これが死に至った主たる原因であると判断されました。そして刺し傷と死亡の因果関係が切れたと見なされるのは、後の出来事が初めの傷を圧倒する (overwhelming)場合としています。

このような因果関係の考え方が、日常生活の中でどう生かされ得るかについて次の2点を指摘しておきましょう。

1つは、あなたが、自分にはあまり関係が無いと思われることで責められたとします。このような時、時間の流れに沿って、因果関係の度合いを検討することによって反論の糸口を見いだせることがあります。

2つ目は、1998年11月号の『文藝春秋』に掲載された、中学生の三好万季さんによる、和歌山カレー事件についての『犯人はほかにもいる』というレポートの例。この中で4人の犠牲者は“業務上過失致死”ではないかと指摘しています。読者の中に記憶しておられる人もいると思いますが、事件当初、保健所は「食中毒」と断定し、後に一転して「青酸中毒」に固執しました。被害を引き起こした本当の原因が1週間以上分からなかったわけですから、その間医者によって適切な治療がなされなかったことは明らかです。三好さんは、保険金詐欺の追及や容疑者宅の取材に精力を傾け、警察の発表記事を垂れ流しただけのマスコミも批判し、「各分野の専門家たちの複合過失によって拡大された社会的医療事故ではないのか」と結論付けています。

これはまさに因果関係という、事件の基本に着目した指摘ということができると思います。スミスのケースにおける傷の影響に当たるものが、この事件ではヒ素の影響ということになるのかもしれませんが、これが傷害事件か殺人事件かを分ける大きなポイントになることは間違いないものと思われます。ともあれ、このように因果関係という考え方は、今日的な問題を見る時にも重要な視点であることがお分かりいただけたのではないでしょうか。

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